2月から延々と続く締切地獄もこのGWがピーク。
西の波情報を尻目に悶々と朝から晩までMacとにらめっこの日々でした。
なんとか今日明日の分を仕上げたので、今朝は久しぶりに海へ。
試しにドライからセミドライに衣替えしてノーグローブで入ったけど、後悔しました。オデにはまだ早かった・・・水冷たすぎます。
それ以前にオデのからだは体力筋力無さ過ぎでグデグデ、いい波来てもコケてばかり、ラジオ体操しただけでヒーヒー言ってるくらいだからなぁぁぁぁ・・・。
そして締切地獄はまだまだ続く。
仕事があるということはウレシイことなんだろうけど、切ないなぁ・・・。
雪中サーフ
雪が降ろうが波が小さかろうがダルダルだろうが海へ入ってサーフィンできることの喜びをかみしめる朝でした。
5年前のこの日からしばらくは、どんなに波が良くても、なかなか海へは入れなかったんだからねぇ・・・。
しばらく前からお尻がシメシメと浸水し始めたドライスーツ、インナーがべちょべちょとしてケツがひゃっこくなって気持ち悪いので、古くなったジャーフルをちょん切ってオムツ状態にしたらなかなか快適、ちゃんと前部に社会の窓も開けて・・・。
しかしここへきて前方面もずぶずぶと浸水し始めて下半身ビチョビチョ状態に。
秘密兵器のオムツも役にたたなくなってきました。
早く暖ったかくならないかなぁ。
「おかえり」… 果たして山下達郎はあの曲を歌うのか?
きのうは山下達郎のライブに参戦。
前回のマニアックツアーから約1年半ぶり。
今回も無事チケットがとれて、ツアーを再開してから新潟県民会館で皆勤賞。
こうなったらどちらかがくたばるまでずっと参戦したいと思います、きっとオデのほうが先にくだばってしまいそうですが・・・。
今回は、16時オープンの「みやこや東堀店」で燃料補給。
軽く熱燗あおって体を温めて・・・のつもりが妻と2人だったためかいつもの飲んべえコースに。
想定外のおあいそにビビリながらも会場へ向かいますが、もの凄い寒さにすっかり体は冷えきってしまい、3時間半におよぶライブをはたして中座せず持ちこたえることができるか不安になってしまいました。
席は真ん中のブロックの10列目。
ほどよい席でのんびり楽しむことができそう。
そして暗転、オープニングは達っつあんのギターカッティングがカッコイイあの曲が!っていってもそんな曲たくさんありますからね・・・ツアー継続中のため以下自粛。
今回はデビュー40周年でもあり、前回がマニアックな選曲過ぎたこともあって、大雑把に言って妻でもほとんど知ってる達郎メジャー曲のオンパレード、さらにシュガーベイブの曲もたくさんやってくれてのんびり安心して楽しめる内容でした。というのも前回はちょっと緊張して聞き耳をたてていたような感じだったから・・・。
そうそう、今回はここ2公演なかった佐橋くんと達っつあんの「どちらかがギブアップするまで永遠に続きそうなギターバトル」が復活したことがオデには一番ウレシイことでした。しかもシュガーベイブのあの曲で・・・以下自粛。
途中ある曲の話題で達っつあんと前の席のあるお客さんとのやりとりが長引いて・・・「ケチ!」「うるせい!ぜったいやるもんか!」の応酬が楽しく、必ず新潟県民会館をはずさない達っつあんの新潟贔屓の一面をかいま見たような気がします。
それで今話題のあの曲をやったのか・・・それはナイショです。
2時間半を経過する頃、年配者大多数の観客がようやく重い腰をあげてオールスタンディング。そこでまたしてもクラッカーを忘れていたことに気がつきました。なんでいつも忘れてしまうんだろう、数日前までは「今年こそ!」と思っていたのに・・・。
かくして前回よりもさらに長い(ような)ナイアガラメドレーでオーバーヒート。
そしていよいよ怒濤のアンコールが45分続きピッタリ3時間半、時計の針がちょうど10時をさす頃におひらきとなりました。
気がつけば、途中でトイレに駆け込むこともなく無事全曲を堪能することができてほんと良かった。
しかし凄いバンドです、特に右半分の60代トリオはますますノリに乗ってるという感じ、こんなパフォーマンスをこれから先いつまでも見続けていけることを祈っています。
ライブ終了後は、いつも通りに夜の街へ・・・しかしライブ前の焼き鳥が腹にもたれてほとんど食が進まず、ビールでさっと喉を潤す程度で早々に撤収。
ライブ前の燃料補給はほどほどにしないとあかんねぇ・・・。
しっかし帰り道が寒かったー!
ひたすら乗れない
さよならラフォーレ、ただいま日本海。
パルコと勘違いして履歴書を送ってから23年あまり・・・
オデが初めて転職したお店がきのう幕を閉じました。
原宿での短い丁稚奉公を経ていきなり新潟店のオープン準備と開店から5年間、本当に怒濤の日々でした。
バーゲンのときはハッピを着てメガホン&太鼓を持って、時には象さんギター抱えてこの入口に立って呼び込みもしました。
このアトリウムでもいろんなことをしたけど、公開空地のため制約が多くて難儀しました。正月には餅つき、節分にはゲリラ的に豆まきをしましたね〜。飯島愛さんもここでしゃべってくれました。
結局全く使われなかった右のカウンター。
バーゲンの時、今はワイハーの人となったTAROさんにDJお願いしましたね〜。で、打ち合わせの時勝手に2人でカウンター動かして後ろのガラスを割っちゃって、上司にえらい怒られました。それもいまはいい思い出・・・。
当時の同僚と店内をあちこち回って、「ここにあの店があったね!え〜っと・・・?」「あの店長さんえ〜っと・・・?」でも店名も店長さんの名前もなかなか出て来ない。23年という歳月の重みを感じました。
初めてのファッションショーでゲストのRIKACOさんのスペルを間違えてパンフを印刷しちゃって運営室のみんなで訂正シール貼ってもらって迷惑かけたり、その会場の市民プラザがいけずで観客数(消防法上当たり前なのだけれど)をカウントし始めたので、急遽あぶれた大勢のお客さんをモデルにしつらえて意味もなくステージ上を歩かせたり。
横尾忠則さんの展覧会では、原宿で開催中のところをお邪魔して打ち合わせに行ったら、その夜トークショーをする予定のユーミンがその場に居たため超緊張してなにもできず、挙げ句の果てに2人に目の前で逃亡されたり(近くのおしるこ屋へ行ったらしい)、新潟のトークショーではお相手に来ていただいた瀬戸内寂聴さんと楽しくも緊張のお酒をご一緒させてもらったり、お二人の甘党を聴いていたので「さわ山」の大福をあわてて買って来て喜んでもらったり、展覧会直前に横尾さんが「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」に出演すると聞いたので、笹団子を手配して一番目立つところに置いてもらって安堵したり、横尾さんの友達だった遠藤憲司さんがチケットも持たずにフラっと会場に入ろうとしたので浮浪者と勘違いしてオデが羽交い締めして入場を阻止しようとしたり。
手塚治虫展のときは娘さんのるみ子さんとカラオケをご一緒させてもらって、今では周知の事実な有名人のモーホーネタにビックリこいたり。
オデのジミな人生にはありえない経験をたくさんさせていただきました。
でも基本業務はジミで過酷なテナント管理、当時は80店舗近くあったお店の若い店長さん達を相手によくやっていたなぁと思います。
特に月に一度の全店長会などは80人の若い女性たち(男性も少しはいたけど)を相手に、よくもまぁえらそうなことをそれらしくほざいていたと思います、本人が一番なんにもわかっていなかったくせに・・・。
そんなラフォーレ原宿新潟、さようなら、そして短くも濃密な時間をどうもありがとうございました。
で、今日は1月4日の完璧なギックリ腰以来、じつに約ひと月ぶりに海へ。
最初はテトラ脇のこのグーフィー狙って・・・
その後はテトラ間へ。
こわごわ入水、さっぱり乗れなかったけど、やっぱり海はいいね!
でも寒い、冷たい、ひ〜!
しばらく端っこでリハビリしていますが(いつもと一緒じゃんとは言わんで下さい)よろしくお願いしま〜す。