秋の夜長のもだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵 その1

すっかり秋だし、サーフィンできないし、久しぶりに活字中毒症状が出てしまい、書店でオデを呼んだ本たちをかたっぱしから家へ連れ帰ってきました。
とりあえず読み終わったものから一部をご紹介。
オデの読むような本なんて参考にもならないでしょうけどね。

HOSONO百景 いつか夢に見た音の旅 細野晴臣

最近の日本の音楽と自分自身との関係は、すごく希薄に感じる。孤独だよ。

この人ほどいろんなジャンルの音楽で第1線を渡り歩いた人もいないでしょうね。でも本人はいたって自然体で飄々としている感じがいいなぁ、文章(というか本人は語っているだけなんだけど)もそんな感じがにじみ出ていていいです。
旅(がいちおうメイン)や映画や街やそしてもちろん音楽について、とても詳細な記憶力に驚かされますが、ボブ・ディランなんかもそうだけど天才はそういうものなんでしょうか。
はっぴえんどとYMO時代のエピソードがおもしろいです。

ヒップな生活革命 佐久間裕美子

知的レベルを疑うような発言をする大統領を選出し、自分の財力で払える以上の価格のマイホームを購入してサブプライム金融危機を引き起こし、世界経済を道連れにした馬鹿な人たち・・・

そんなアメリカ人が今どう変わってきているのか。
オデの最近のマイブームである「ポートランド」の謎がいろいろと描かれていて興味深かったです。
でもふと、この新潟のまわりを見てみれば若い人たちのいろんな営みが著者が言う今のアメリカの「ヒップスター」たちと重なって見えてきます。
なるほどなぁ、若い人たちがうらやましいぞぉ。

グレーな本 高城剛

今まで語られてこなかった「世界とのギャップ」に関して「わからない」「わかっていても話さない」日本の現在を、本書に多く記すことになりました。

著者はあの「沢尻エリカ」様の元旦那様です。
すいません、ずっとイケスカナイスカシタヒトだと思っていました。この本を読んで至極まっとうな物言いをされるとても賢明な方だと気がつきました。
出版社から「このままでは出せない」と言われる有料メールマガジン に即登録しましたので許してください。
偏見を捨ててぜひ一読を・・・。

 終わらない音楽 小沢征爾

山の底辺は俺がやるから、お前は頂点を目指せ。

山本直純さんからいつも言われていた言葉だそうです。
そんなことをひとから言われる人は幸せですね。
でもそれくらいに小澤さんには「花」があるんでしょうね。もちろん才能と運がなければこんな人生歩めないでしょうけれど。
とにかく周りの人たちが放っておけない、何かあると誰かが手を差し伸べてくれる、そういう幸運を引き寄せる力があるんでしょうね。
ご自分の人生をとっても駆け足で語っているので、テンポの速さについて行くのが大変ですが、休みを入れず一気に読んでしまうのがよろしいかと思います。
クラシックオンチなオデですが、この人だけは聴きたい(というより、見たい!)と思わせる唯一の方なんです。

透明な迷宮 平野啓一郎

日常を束の間、忘れさせてくれるような美しい物語

と著者自身が言うのもどうかと思いますが、
少なくとも、久しぶりに小説らしい小説(短編集ですが)を読んだ気がします。
震災以降、あまり小説を欲していなかったのでこれはちょっと前進かな?
実は平野啓一郎さんは初挑戦でした、この方の小説は難しそう、とずっと思っていたので・・・でもこれならOK。

離陸 絲山秋子

人間はやけくそになるけど、国とか時代がやけくそになったら終わりだと思う。いくつかの国はそうなるかもしれない。

デビュー作からずう〜っと、新作が発売されたら必ず読んでいる作家は村上春樹ともう一人、この絲山秋子だけ。
今までは中編や短編ばかりだった絲山さん、新作は400ページにわたる大長編でびっくりしました。
お得意のエログロを封印して、ハードボイルドで時空を超えた物語を丁寧に紡ぎ出していてとってもおもしろい!これは名作の誕生だと断言します。オデが断言してもどうにもならないけど。
本当なら村上春樹にもう一度こういうものを書いて欲しいんだけど、無理かなぁ・・・?

大坊珈琲店 大坊勝次

空気を共有することは、言葉のいらないある連帯と、自立を共有することと言えなくもありません。自然、会話は減ります。それでも意思の疎通は出来ていると思うのは、こちらの身勝手でしょうか。

ある珈琲店が38年の幕を閉じた。それだけのことだけどとっても心を打つものがあります。
店主のちょっとした思い出話と常連のお客さんたち(凄いメンツ!)の思いの詰まった言葉たち。
店主とお客の距離感がとってもいいんですね。
50ページにわたる写真がこれまた素敵。
オデにとっての大坊珈琲店は大堀幹線沿いにある「交響楽」という珈琲店です。お店で飲むことはめったにないけど、マスターが焙煎してくれた珈琲豆を家で毎日何度もドリップしています。

知ろうとすること 早野龍五 糸井重里

震災直後の混乱した中で発表された情報のままで知識が固定されているんですよ。だから、知識がずっとリニューアルされていない。

オデもたしかにそう思ったのでこの本を手に取りました。
「最低限これは知っておいたほうがいいんじゃないか?」と思うことがとてもニュートラルな状態で語られています。
それでも許せないものは断固許せないし、折り合いをつけて行かなきゃいかんものは現実としてそこにあるわけだし、「正しいことを知ること」がこんなにも面倒な時代になってしまって・・・若いひとたちにはぜひそれを教えてくれる「正しい人」を見つける選択眼を養って欲しいものです。

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